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kei121318

シンシナティ留学の帯同体験記

 まず初めにラボの皆様、関わりをもってくださった皆様そしてアメリカに連れてきてくれた主人、一緒についてきてくれた子供達に心より感謝しています!主人も子供も大変だったと思いますが、この体験記では、子供二人と留学に帯同しての苦労話をみなさまと共有できたらと思い、思いきって筆をとりました!

 私は、夫・耕一朗と当時3歳男児の双子とともに2022年4月から2024年3月までシンシナティで過ごしました。

 今は、帯同し本当によかったと思っています。円安、物価高騰も影響し〇千万円以上を使いましたが、皆様に会えた事、帯同できた事、無事に生活できている事、全ての経験にそれ以上の価値があると主人とよく話しています。

 近隣の方々やHarper’s PointやOlde Montgomeryの皆様、そして、公園で会う初めての人々との出会いは、今でも色褪せず、ですし、できる限り行った観光も、とても良い思い出になりました!

 途中でBezerraラボからTakebeラボに変わり、主人は、いろいろな面で変化が激しく生活スタイルも変わったので、苦労もあったかと思いますが、皆様に支えられたとよく言っています。


 さて、ここから、私目線で、少し辛かったお話をさせていただきます。

 帯同を決定する前に大変だった事、辛かった事は大きく2つあり、1つ目は子供達にとって帯同する事がどう影響するのか予測できない事、2つ目が仕事を辞めなければいけなかった事、実際に帯同してから大変だった事は物価高騰・円安で毎月大きなお金が動き不安だった事、そして誰かと比較ばかりし、自信が持てなくなった時期があった事です。

 留学の話は結婚前からあり当時はとても楽しみにしていましたが家も車も購入、ようやく授かった双子も3歳になり喋り始めたまさかのタイミングで主人から相談されました。相談=決定なので主人が行く事はすぐに決まりましたが(笑)、双子の長男は話し始めた時期で、次男には発達障害があったため、私は日本でそのまま生活する方が子供にとっても良いのではないかと、とても悩みました。しかし行かない選択をして後悔してしまうかもしれないと思うと、子供にも話し、無理だったら帰る、そう心に余裕を持たせ出発の日を迎えました。

 日本では産休、育休を経て子供の事も考慮した時間帯で勤務させていただいていました。役割もありとても楽しく働いていましたし、やってみたかった分野でした。帰国後この条件で働ける場所はおそらくないので仕事を辞めなければいけない事に大変悩みましたが長い人生と考えた時に、ついて行くか行かないかどちらを選択した方が後悔しないかと考え帯同を選びました。今となっては今後の働き方を考える良い選択となりました。

 子供が3歳、そして夏休み時期に渡米したためスクールがなく、慣れない土地で環境を整えながら毎日一緒に過ごす事が私にとってはとても大変でした。次男は新しい環境に適応するのが難しいため毎晩泣き、日中も機嫌が悪く、時差や環境に適応するのに非常に時間がかかり、主人は、職場に行き、不在でありましたので、私も精神的に大変な毎日が続きました。ようやく入園できるスクールが見つかったのですが費用が非常に高額で毎月2人分で家賃以上の金額でした。また、次男はなかなか受け入れてくれるスクールが限られており、既にいっぱいであったからか、半日しか行く事が出来ませんでした。さらに、新しい環境に耐えきれず、呼び出しや途中で辞めなければいけなかったスクールもあり悔しい場面も多々ありましたが、それらをばねにABAや自閉症セラピーを探したり、発達障害児向けのイベントに参加したり、公園で出会った同じ障害を持つ子の母と出会って気持ちを共有できるようになりました。アメリカでしか受ける事の出来ない専門的なセラピーに出会い、ゆっくりですが確実に成長していて何より本人がのびのびしています。また手助けしてくれたり、予測不可能な行動にも笑って声をかけていただく事が多く親としては非常に気楽に外出出来ています。次男が何かやってしまった時も、「It’s fine. No problem!」と言ってくれるので、いつも救われました。さらに、次男が自閉症で発達障害だというと、「うちにもいるよ」であったり、「隣の子もだよ」など、いろいろ話をしてくれるので、気が楽になります。

 長男は最初スクールに行きたくないと毎日泣いていました。ある日「みんなは英語が話せるのにどうして僕は話せないの?」と言われた事があります。その頃はアメリカに付いてきてよかったのか自問自答の日々でしたが、友達もアメリカの祖父母も出来、堂々と話たり私達に発音も教えてくれたりと、5歳にして私の通訳者であり心強い存在です。今では初めて会う方には日本語も英語も話す事ができると自己紹介しているようです。彼らの成長や過ごし方を見ていると帯同を選択してよかったと感じています。

 主人はどんどん、論文を書き研究し賞を取ったり日本の仕事も続けたりと着実に目の前のタスクをこなして行きました。

 さて私ですが、会う人会う人皆様、仕事や研究をされていたり英語が話せたり子供が走ってどこかに行ってしまわなかったり、誰かと比較して出来ない事ばかり見えてどんどん自信をなくしていきました。子供の事でセラピーの先生に相談したくても細かい所まで聞けず不消化の毎日でした。託児のあるESLに通い英語を勉強する事、発達障害に理解のある友人宅に遊びに行かせてもらう事、元々好きだった旅行に行くことで自分を取り戻していきました。渡米から1年半経過し5歳になりようやく公立のスクールに朝から夕方まで行く事が出来るようになり、子供がスクールへ行ってくれる事で時間的に余裕ができ私自身も語学学校へ行き10カ国以上の方々と文化や考え方の違いについて話したりその国の食事をいただいたりと日本ではなかなか経験できない事が出来ています。

 また旅行に関しては次男にとって飛行機は苦痛を伴い帰国後にまたいつ来られるか分からないので出来るだけ行きたい!という希望を主人が聴いてくれて、研究をしに来た主人と時々意見の対立もありますが本当に出来る限り行かせてもらっています(主人も最終的には行ってよかったと言っていました笑)。ラボでのiPS細胞の合間を縫って1週間程旅行したり、研究で休みが取れなければ近場でツリーハウスに泊まったり日帰りで出かけたり、時には私と子供だけで旅行へ行ったりしています(主人には相当反対されましたが笑)。

 また冒頭で記載した通りこの留学で多くのお金を使いました。渡米時期に円安が進み物価も高騰し特に最初は保険、航空券、車など大きな買い物が多かったので数百万単位でお金を使いました。準備が落ち着いてからも食品や紙製品、とにかくなんでも高いので経験を楽しむために日々の節約に努めています。主人とアメリカでのお金の使い方について話し合い、日本では生活について話す時間はなかったのでこれもいい機会となりました。また留学した事で同じ環境や違う環境、国も価値観も全く異なる友人と出会う事が出来ました。家族ぐるみのお付き合いをさせていただき慌ただしく過ごしていた日本ではなかった貴重な経験となりました。

 日本に帰ったらアメリカで習得した英語を忘れたくなくて英語に関わる仕事がしたいと思いつつ、次男の発達障害については一生涯付き合っていかなければならないため自宅でも出来る仕事も視野に入れなければなりません。今までの仕事を辞め次男と向き合う事で気づき新たなスキル取得の機会となりました。

 帰国して1か月が経過した今、ここまで来られた事に安心すると同時に全てが大切な経験でありのびのび過ごしたシンシナティでの生活が愛おしく、帰りたい気持ちも出てきています。シンシナティは四季を感じる事ができ有料級の公園も多く周りの方もとても親切です。ゆっくり話してくれたり時間をとって聞いてくれたり特に最初は彼らの優しさが身に沁みました。

 帯同しなければ傷つかなかった事もありますが帯同した事で失敗から学びすぐに活かす環境があり、家族にとっても自分にとっても成長のきっかけとなりました。

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